大山ひのきの御城印に色を塗った一点ものです。
謎が多くて築かれた時期もよくわからない河岡城。
毛利と尼子が争った頃に戦闘用として築かれた説、古くは古代豪族やこの地を治めていた土豪の築城とする説などがあります。
関ヶ原の戦いの後、中村一忠が伯耆国に入り、家老の横田内膳による米子の城下町整備の際、河岡城下の町民を移住させた区画が現在の米子市紺屋町(こうやまち)といわれていますが、元々は甲賀という地名であり、紺屋という地名になったのも謎です。
松下順一画伯作。
日野川東側に位置する箕蚊屋平野にあったとされ、日野川が堀として利用された説もあります。
箕蚊屋平野からは今でも大山が良く見え、御城印のように広くお城と城下町があったことがうかがえます。
河岡城の風情を見事に表現しており、周囲の自然との調和が感じられます。
歴史に思いを馳せながら楽しむことができ、コレクションやインテリアにも最適です。
サイズ:100㎜×150㎜×1㎜
素材:大山ひのき